6月9日に放送された、「ジャンクスポーツ・不屈の超人SP」
去年、弟である山本KIDさんを亡くした山本美憂さんが出演していました。
女子レスリングの元世界女王として活躍していた山本美憂さん。
総合格闘家へ転身した理由を明かしています。
長年レスリングで活躍していた山本美憂さんが、総合格闘技へ転向。
その裏には、大切な弟・山本KIDさんへの深い想いがあったということです。
目次
山本美憂 レスリングと弟山本KIDのつながり
レスリング一家の山本美憂さん。
父親・山本郁榮さんの指導を受け、美憂さん、山本KIDさん、聖子さん共にレスリング経験者です。
共にレスリングの指導を受け、真剣に取り組んでいた姉弟。
一般的な姉弟よりも深い絆があると思います。
レスリング一家!美憂のレスリングの経歴
世界選手権で3度優勝した山本美憂さん。
結婚を機に1995年現役を引退しています。
しかし、2004年のアテネオリンピックで女子レスリングが正式種目に採用されることになり、現役復帰。
「父がオリンピックに出てて、父のようになりたいっていうのもあった。絶対出たかった」と語った美憂さん。
しかし、わずかの差で出場権を逃してしまいます。
2004年、2度目の引退を選んだ山本美憂さん。
しかし、どうしても諦められなかった山本美憂さんは、2012年、37歳の時、ロンドンオリンピックを目標に、また現役復帰します。
ところが、この時も落選。
2016年、国籍をカナダに移しリオオリンピックへ挑戦したということです。
しかし、手続きに問題があり断念する結果に。
オリンピック優勝を逃してしまった山本美憂さん。
42歳で大きな決断を下しています。
山本美憂 42歳で総合格闘技への転向
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— MIYUU YAMAMOTO (@MiyuuYamamoto) 2016年8月19日
山本美憂さんは、レスリングから総合格闘技へ転向した理由について、オリンピックに出られなかった悔しさから、と明かしていました。
しかし、その決断の裏側には別の理由があったということです。
山本KIDの病気を知り、側にいたかった
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山本美憂さんが格闘家への転向を決めたのは、弟・山本KIDさんの病気が理由。
自分の大切な弟が病気だとわかったら、目の前で、目に見える所にいたい、と強く思ったそうです。
「自分が総合格闘技(MMA)を始めたら、もちろんコーチはうちの弟だから、ずっと一緒にいられると思って。総合格闘技をはじめました。」と語っていました。
2016年 山本KIDのガンが発覚
2016年、山本KIDさんのガンを知った山本美憂さんは、癌闘病を支えたい、側にいたいという気持ちから総合格闘家への転向を決意したのです。
こうして姉と弟の挑戦がはじまりました。
しかし、総合格闘家へ転向する意思を伝えたところ、山本KIDさんからは大反対されました。
「お姉ちゃんがリングに上がって殴られてる姿を見たくない。余計ストレスがたまる」と言われたようです。
何とか説得し、格闘家へ転向。
山本KIDさんにコーチになってもらうよう頼んだんでしょうね。
山本KIDさんは、コーチになったら本当に怖かった、ということです。
山本KIDさんにとっては、大切な姉をリングへ出すために、しっかりとトレーニングをしなければ、と思ったんでしょうね。
とても厳しかったようです。
山本KIDさんは、闘病生活を続けながら、コーチとして山本美憂さんを指導。
その効果もあり、格闘家転向からわずか3ヶ月で、総合格闘技デビューを果たします。
2016年9月に行われた試合。相手は世界トーナメント王者のRENAさんです。
初戦はKO負け。
しかし、転向し、わずか3ヶ月でデビューするのもすごいです。
かなりトレーニングし、取り組んできたのだと思います。
山本美憂さんは、初戦でKO負けしてしまいましたが、山本KIDさんから「絶対リベンジするぞ」という言葉を胸に、頑張ります。
山本KIDさんは、姉を勝たせたい、と必死にコーチとして指導していたんでしょうね。
ところが結果は4戦3敗。
思うような結果を出せなかったということです。
2018年 山本KIDさんのガンの容態が悪化
2018年、ガンの容態が悪化し、山本KIDさんは療養のため、グアムへ移ることになりました。
一緒について行った美憂さんは、2ヶ月後の試合を欠場しようと考えていたということです。
弟のそばにいたい、という気持ちが強かったんでしょうね。
それに対し、山本KIDさんは、「俺は大丈夫だから。とにかく勝てるから試合して欲しい」と言ったということです。
山本KIDさんの言葉を聞き、試合に出る決意を固めた山本美憂さん。
そばにいたい、看病したい、という気持ちを抑え、日本へ戻り、試合へ出場することを決意したようです。
何が一番良いかを考え、行動に移したんでしょうね。
2018年 山本KIDさんの言葉を胸に試合出場
「俺は大丈夫だから。とにかく勝てるから、試合をしてほしい」と伝えた山本KIDさん。
その言葉を聞いた山本美憂さんは、「自分がそばにいるよりも、教えてもらったことを全部出して、試合で相手を倒して、帰ってくることのほうが、ノリ(KID)にとってはすごく嬉しいのかなと思って。もうこれ、絶対勝たないと」と心情を打ち明けています。
勝って弟を喜ばせたいと、2018年7月29日のRIZIN.11へ出場します。
入場曲は弟のKIDが選曲したということです。
いつもはセコンドについていたKIDがいない初めての試合。
弟のためにも、絶対に負けられないと試合に臨んでいます。
相手は空手出身の打撃系ファイター・石岡沙織さん。
これに対し、山本美憂さんは、弟山本KIDさんから教わった打撃で応戦。
見事勝利し、KIDさんとの約束を果たしました。
「やっぱりノリ(KID)のいうことを聞いて間違いはないっていうのと、終わってテレビ電話を息子アーセンがつなげててくれて、見ててくれたみたい」と美憂さん。
闘病中だった山本KIDさん。テレビで試合を観戦していたようですね。
ご自身も闘病で大変だった中、応援し続けた山本KIDさんもすごいです。
試合後、弟・山本KIDさんは美憂さんが勝って泣いていた、ということです。
KIDさんは、「自分が勝った時より嬉しい」と言っていたようです。
自分が勝てば、弟が喜んでくれる、と感じた美憂さん。
そこで、本来は7月から12月まで試合はなかったのですが、9月の試合へ参加させてもらったということです。
山本KIDさんの容態が悪化する中、予定を変更し、試合へ出場した美憂さん。
コーチだったKIDと離れ、トレーニングに励んだということです。
弟に喜んでもらうため、勝とう、と必死に頑張ったんでしょうね。
山本KID 2018年8月26日 ガンを公表
この時期、KIDさんは病状が進行。
隠しきれなくなり、2018年8月26日、ガンを公表しています。
しかし、公表からわずか23日後の9月18日、山本KIDさんは41歳という若さで亡くなってしまいました。
KIDさんが亡くなったのは、美憂さんの試合の12日前。
最愛の弟を亡くした悲しみを胸に、美憂さんはリングへ立つことを決意。
最愛の弟が亡くなった日も、美憂さんはトレーニングに励んだといいます。
「トレーニングを止めることが絶対KIDにとっては、”ふざけんな”って絶対思うから、それだけはしたくなかった」と美憂さん。
KIDさんが天国に旅立ってからわずか12日後、山本KIDさんの入場曲で美憂さんはリングに立ちました。
対戦相手は、以前完敗したアンディ・ウィン。
美憂さんは見事勝利しました!
「自分はKIDを見えないけど、KIDは天国から見てるから。2連勝したよ!って思いましたね」と美憂さん。
コーチでもあった弟・山本KIDを亡くした美憂さん。
いつまで総合格闘技を続けるのか?という質問に対し、
「自分がやりたいと思っているうちは、絶対に何も妥協せず頑張ります。でないと弟に怒られる、殺される」と語っていました。
山本KIDさんは天国から見守っているんだと思います。
勝った美憂さんの姿を見て、喜んでいるはずです。
山本美憂さんと山本KIDさん。
姉と弟の深い信頼と絆が伝わってきますね。
山本KIDは闘病中も美憂を指導していた
グアムで療養していた山本KIDさんと、日本でトレーニングしていた山本美憂さん。
指導は、KIDさんがグアムに療養に行ってからもアドバイスを受けていたということです。
美憂さんに技の動画をどんどん送ってくれ、イメージトレーニングするよう指導してくれていた山本KIDさん。
自身の闘病で大変な状況であったにも関わらず、常に姉・美憂さんのことを心配していたんでしょうね。
美憂さんにとってKIDさんはとても強い存在だということです。
「すごく強い。小さい頃から。最後も弱音を吐かずに逝ってしまった」と語っています。
精神的にもとても強い方だったんですね。
まとめ
女子レスリングの元世界女王として活躍していた山本美憂さん。
ジャンクスポーツで。総合格闘家へ転身した理由を明かしています。
長年レスリングで活躍していた山本美憂さんが、2016年、総合格闘家へ転向。
その裏には、大切な弟、山本KIDさんへの深い想いがあったということです。
山本KIDさんのガンが発覚したのが2016年。
山本美憂さんは、癌闘病を支えたい、側にいたいという気持ちから総合格闘家への転向を決意したのです。
山本KIDさんから、格闘家への転向は反対されたようですが、説得し、格闘家へ転向しています。
山本KIDさんは、闘病生活を続けながら、コーチとして山本美憂さんを指導。
山本美憂さんは、格闘家転向からわずか3ヶ月で、総合格闘技デビューを果たします。
最初の試合では負け、その後も結果は4戦3敗。思うような結果を出せませんでした。
そんな中、山本KIDさんのガンが悪化してしまいます。
「俺は大丈夫だから。とにかく勝てるから、試合をしてほしい」と伝えた山本KIDさん。
美憂さんは弟のために勝つ、とリングに立ちます。
見事勝利し、試合後、弟・山本KIDさんは美憂さんが勝って泣いていた、ということです。
「自分が勝った時より嬉しい」と言っていた山本KIDさん。
すばらしい姉弟愛ですね。
2018年9月18日、山本KIDさんは41歳という若さで亡くなってしまいました。
しかし、その後も美憂さんはトレーニングを続け、KIDさんの急逝から12日後、リングに立ちます。
対戦相手は、以前完敗したアンディ・ウィン。
この試合で、見事勝利した山本美憂さん。
弟の遺志を継ぎ、総合格闘家として頑張っています。
2人の姉弟愛も素晴らしいですが、山本KIDさんの闘病中、離れていても、精神的に支え合っていたのではないでしょうか。
山本KIDさんは、姉を勝たせたい、と闘病に臨み、頑張っている美憂さんの姿に支えられていたと思います。
また、山本美憂さんも、必死に取り組むことで、容態が悪化し、亡くなってしまうかも、という不安を払拭し、必死にトレーニングに没頭していたような印象を受けました。
大切な人を亡くした後の喪失感はとても大きいです。
総合格闘家へ転向し、弟のために勝ち続ける、という強い気持ちを抱くことで、KIDさんが亡くなってからの喪失感を軽減できているのではないか、と思います。
最初は総合格闘家への転向を反対していた山本KIDさん。
もしかしたら、自分が亡くなった後の姉の心情を考え、コーチとして指導する決意を固めたのではないか、と思いました。
現在も頑張っている山本美憂さん。
ぜひ頑張ってほしいです!