11月24日に放送された「林先生の初耳学」今回の初耳フリークはラグビー
ラグビーワールドカップでは日本がベスト8に。今年の流行語大賞に、にわかファン、ジャッカル、笑わない男、4年に1度じゃない。一生に一度だ、ONE TEAMなど、5つもラグビーの言葉が上がりました。林先生も元ラガーマン。
ラグビーブームを終わらせてはならないと人気イケメン俳優が登場。
ラグビーの初耳学を熱く語ってくれました。
人気俳優・高橋光臣さん。ドラマ・ノーサイドゲームではチームのキャプテン役を演じました。
実は、中学から大学までラグビー部の強豪校で活躍し、芸能界1のラグビーフリーク。
ニュースやワイドショーでは扱わないラグビーの感動秘話をクイズにして紹介してくれました。
目次
高橋光臣 ラグビー感動秘話を熱く語る
高橋さん、登場早々、「今日はね、林先生をボコるんで」と気合が入っています。
高橋さんの隣にはラグビーボールを持った選手のパネルが飾られています。
林先生も知らない人物。
走る絶望 ジョナー・ロム―
引用元:https://rocketnews24.com/2015/04/28/575551/
”走る絶望”と言われたジョナ・ロム―さんだそうです。
元NZ代表 ジョナ・ロム―(1975~2015)
身長196cm 体重119kg 100m走 10秒台
100mをなんと10秒前半で走るという瞬足。
走り出したら誰も止められない走る絶望 ジョナ・ロム―さん。
1999年に開催されたラグビーW杯 ニュージーランドvsフランスで、片手でボールを持ち、ものすごいスピードでダッシュしています。
このシーンのスピードにスタジオ中大興奮。
すごいスピードです。
林先生のラグビーの実力は・・・?下手くそですねと一言
林先生は高校3年間ラグビーに打ち込んだそうです。
高橋光臣さんが林先生の実力をチェック。
高橋さん、「へたくそですね」と一言。
中学時代から大学生の間、ラグビーに打ち込んでいた高橋光臣さんにとっては、林先生では物足りなかったのかもしれませんね。
第一問 オールブラックスのユニフォーム なぜ日本人デザイナーが手がけたのか?
ニュージーランド・オールブラックスが着用していたユニフォーム。
これをデザインしたのは日本のデザイナーの山本耀司さんなんです。
おしゃれですごくカッコいいユニフォームですが、なぜニュージーランド代表のユニフォームを日本人デザイナーが手がけたのか?その理由をご存じですか?と質問しました。
林先生・・・日本だけでなく世界で有名なデザイナーだから、と回答
林先生、不正解でした。
ニュージーランド代表のユニフォームを日本人デザイナーが手掛けている理由
オールブラックスはニュージーランド経済に欠かせない存在
ポイントは、「オールブラックス」はニュージーランド経済に欠かせない存在だということ。
ニュージーランドは国の主力産業が羊とオールブラックスといわれるほど、オールブラックスのブランド価値が高いということです。
サッカーで例えるとレアル・マドリードのような存在。
日本にもオールブラックスのファンは多く、日本は世界で2番目にオールブラックスの関連商品が売れているということです。
そこで、日本でワールドカップが開催されることを記念して、日本のデザイナーさんが手がけることで、販売につなげる戦略があったということです。
日本では世界で2番目にオールブラックスの商品が売れているんですね。
ラグビーへの知識がなく、ドラマ「ノーサイドゲーム」が放送された際、オールブラックスについてのシーンがあったような記憶があり、名前は印象に残っています。
日本人にも人気のチームなんですね。
ワールドカップを盛り上げたのはにわかファン
今回のワールドカップを盛り上げたのはにわかファン。
高橋光臣さんも、「にわかファン、ウェルカムです」と話しています。
今回のワールドカップはにわかファンの方々の声援の後押しがすごかった、感謝しておりますと高橋さん。
「皆さんラグビーって他の競技に比べて美談が多いと思いませんか?」と質問。
今回、高橋光臣さんは、他番組ではやらない海外選手の感動エピソードを紹介してくれました。
釜石市と海外選手の感動エピソード
試合中止のカナダ代表、台風の泥かき 釜石市民は感謝https://t.co/jNJ6BSsdIS #台風19号 #釜石 #ラグビー #カナダ
ラグビー・ワールドカップの釜石市での試合が中止になったカナダ代表が13日、市内で泥かきや家財の運び出しを手伝いました。突然現れた屈強な助っ人に、感謝の声が寄せられました。
— 朝日新聞東京編集局(コブク郎) (@asahi_tokyo) 2019年10月13日
今回のワールドカップでは、台風で試合が中止になり、カナダ代表は釜石市でボランティア活動をするなど、話題になりました。
実は、8年前にも、心温まるエピソードがあるんです。
同じ釜石市の8年前の写真。
写真に映っていたのは、釜石を代表するラグビーチーム「釜石シーウェイブス」のスコット・ファーディ選手。
2011年 釜石シーウェイブス スコット・ファーディ選手
Reliving the 2011 Tohoku earthquake: Scott Fardy recalls how life changed in Kamaishi the moment the tsunami hit.
2011年の東日本大震災。そのとき、スコット・ファーディの人生は変わった。https://t.co/oy9Q8p0JK8— 釜石鵜住居復興スタジアム (@kama_stadium) 2018年9月21日
2011年の東日本大震災。
釜石市は巨大津波で壊滅的な被害を受けました。
この時、釜石シーウェイブスの選手はボランティア活動を開始。
その中には、ファーディ選手の姿も。
しかし、度重なる余震や原発事故の報道を受け、世界各国が避難勧告を発令しました。
多くの外国人選手が母国に帰ることに。
震災から3日後、ファーディー選手のチームメイトが、「ファーディー、帰国しなくていいのか?」と質問したところ、「ああ、問題ないさ」とファーディ選手。
ファーディ選手は当時26歳。
オーストラリア代表入りを有望視されていたのですが、母国の避難勧告を受け入れず、ボランティア活動に奔走しました。
そんなファーディを見かねてやってきたのが母国オーストラリアの大使館員。
帰国チケットも用意し、すぐにオーストラリアに帰るよう釜石市までやってきたということです。
しかし、ファーディーは「釜石の人たちが苦しんでいるんです。僕らが助けないと。僕は釜石に残ります」と宣言。
大使館員は、ファーディー選手のお母さんに連絡し、帰国を促すよう電話をつなげました。
大使館員は、将来有望な選手をどうしても帰国させるため、お母さんから母国へ帰るよう説得を試みたということです。
「お母さん、僕は帰らない。ここに仲間がいるんだ。帰ったらきっと後悔する。釜石の人たちを助けたい」とファーディー選手は釜石に残り、ボランティア活動を続けました。
釜石の方たちはとても感謝していたようです。
ファーディー選手の一声でボランティア活動を開始した
"It taught me the frailty of life": Scott Fardy returns to Japan, seven years after tsunami.
「人生は儚いもの。」スコット・ファーディ。震災の7年後、日本へ。https://t.co/Jp2i6KjoHX— 釜石鵜住居復興スタジアム (@kama_stadium) 2018年9月21日
当時のチームメイト佐伯悠さんは、ファーディーさんから、「僕たちは元気に生きてるんだから、何かしなきゃダメだよ」という彼の発信で、みんなやろうか、と活動につながったと明かしてくれました。
選手たちのボランティア活動は、ファーディー選手の一声で始まり、釜石の復興は進んでいったということです。
高橋光臣さんは、「ラグビーは自己犠牲の上に成り立っているスポーツ。かなり痛い想いをして、仲間のために自らを犠牲にしてボールを守る。
だから日常生活でも困っている人がいたら助ける、ということが、ラグビー選手に根付いているんです」と話していました。
その後、ファーディー選手はオーストラリア代表に選ばれ、2015年のワールドカップでは見事準優勝に輝いたのです。
今でもファーディー選手と釜石市は深い絆で結ばれており、2018年、釜石市がファーディを招待し、再会しています。
第2問 南アフリカ 1枚の写真に隠された秘密は?
🇿🇦本日7月18日はネルソン・マンデラ国際デー🇿🇦 ラグビーを通じて、南アフリカに人種間の和解をもたらしたネルソン・マンデラ氏。見事優勝を成し遂げた1995年大会のシーン。のちに映画化されたことでも有名ですね。#RWC2019 #mandeladay #ネルソン・マンデラ・デー pic.twitter.com/CmMhLTsnpn
— ラグビーワールドカップ (@rugbyworldcupjp) 2017年7月18日
では、続いて第2問。
2019年のワールドカップで優勝した南アフリカ。
南アフリカの優秀は3回目です。
1枚の写真に、感動のエピソードがあります。そのエピソードは何でしょうか?と出題。
写真には2人の男性が映っています。
これは1995年のラグビーワールドカップで南アフリカが初優勝した時の写真です。
感動したエピソード、それは何でしょうか?
林先生・・・知ってた!と回答
ワールドカップが始まったのは1987年。
当初南アフリカ共和国は政治的理由で出場できなかったということです。
写真に映っていたのはネルソン・マンデラ大統領。
1994年に法律が廃止され、1995年、南アフリカは出場できたということです。
初出場で初優勝した南アフリカ。
南アフリカの選手や国民みんなが壁を打ち破り、国が1つになった象徴的な写真、と林先生は回答していました。
林先生・・・正解です。
ワールドカップ初出場で初優勝した南アフリカ。新しい南アフリカ誕生を象徴する写真でした!
これはラグビー界で有名だということです。
映画「インビクタス」という作品にもなったんだそう。
『インビクタス/負けざる者たち』
1995年ラグビーW杯南アフリカ奇跡の優勝。緑と金色のユニフォームはアパルトヘイトの象徴から栄光の象徴へと変わる。こんな歴史を見たらスプリングボックス応援したくなってまう!#インビクタス #INVICTUS pic.twitter.com/rpIYKDeN3z— Aoi (@KS3tothe6) 2019年10月20日
俳優・高橋光臣さん。
ラグビーの感動秘話を伝えてくれました。
ラグビーは感動秘話が多く、私自身にわかファンですが、選手たちの対応や、言葉遣いなど、誠実で優しい面がよく出ている、と感じます。
ワールドカップ出場に向け、メンバーに選ばれた選手たちは、4年間猛練習し、大半をラグビーに時間を費やし、ほとんど休みもなかったとのこと。
ベスト8になった後も、様々な番組に出演し、ラグビーのことや、共演者の質問にも丁寧に答えてくれています。
サービス精神も旺盛ですね。
ベスト8になった、ということで態度が変わるということもなく、とても謙虚な印象を受けました。
忙しい中、番組へ出演しているのも、今のラグビー熱を持続し、今後の日本のラグビー界へ向け、選手たちも疲れている中、数々の番組に出演し、ラグビーのすばらしさを伝えてくれていると思います。
にわかファンが多く、日本中が熱狂した2019年ラグビーワールドカップ。
今後もラグビーが注目されるでしょうね。
まとめ
11月24日に放送された「林先生の初耳学」今回の初耳フリークはラグビー。
ラグビーワールドカップでは日本がベスト8になりました。
今年の流行語大賞の中に、にわかファン、ジャッカル、笑わない男、4年に1度じゃない。一生に一度だ、ONE TEAMなど、5つもラグビーの言葉が上がり、大注目されています。林先生も元ラガーマン。
ラグビーブームを終わらせてはならないと俳優・高橋光臣さんがラグビーの初耳学を熱く語ってくれました。
高橋さんは、中学から大学までラグビー部の強豪校で活躍し、芸能界1のラグビーフリーク。
ニュースやワイドショーでは扱わないラグビーの感動秘話をクイズにして紹介してくれました。
第一問は、ニュージーランド・オールブラックスが着用していたユニフォームをデザインしたのは日本人。なぜニュージーランド代表のユニフォームを日本人がデザインしたのでしょうか?と出題。
オールブラックスのユニフォームをデザインしたのは日本のデザイナーの山本耀司さん。
林先生は、山本耀司さんは世界的に有名なデザイナーだから、と回答し、不正解でした。
正解は、日本にオールブラックスのファンは多く、日本でワールドカップが開催されることを記念して、日本のデザイナーが手掛けることで、販売につなげる戦略があった、ということです。
第2問は、1枚の写真。1995年のワールドカップで南アフリカが初出場し、初優勝した写真です。
写真には2人の男性が映っており、この写真に、感動のエピソードがあります。そのエピソードは何でしょうか?と出題しました。
林先生は、第一回目のワールドカップが開催されたのは1987年。
当初南アフリカ共和国は政治的理由で出場できなかったということです。
写真に映っていたのはネルソン・マンデラ大統領。
1994年に法律が廃止され、1995年、南アフリカは出場できたということです。
南アフリカの選手や国民みんなが壁を打ち破り、国が1つになった象徴的な写真、と林先生は回答し、正解でした!
高橋光臣さんは、ラグビーの感動秘話を紹介してくれました。
2019年のワールドカップでは、台風で被災し、釜石市でカナダ代表選手がボランティア活動し、話題になりました。
しかし、2011年にも同じ釜石市で感動秘話があったということです。
当時、釜石シーウェイブスに所属していたファーディー選手。
2011年の東日本大震災で釜石市は津波で大被害を受けました。
海外では国から避難勧告の指示が出た中、釜石シーウェイブスは釜石市でボランティア活動を開始。
ファーディー選手の言葉で釜石シーウェイブスがボランティア活動を行うようになったということです。
選手たちのボランティア活動は、ファーディー選手の一声で始まり、釜石の復興は進んでいったということです。
高橋光臣さんは、「ラグビーは自己犠牲の上に成り立っているスポーツ。かなり痛い想いをして、仲間のために自らを犠牲にしてボールを守る。
だから日常生活でも困っている人がいたら助ける、ということが、ラグビー選手に根付いているんです」と話していました。
ファーディー選手はその後も活躍し、現在も釜石市と交流があるとのこと。
深い絆で結ばれているようです。
ワールドカップで大注目されたラグビー。
今後も人気は続きそうですね。