6月12日に放送された「衝撃のアノ人に会ってみた!」
ユーミンの名曲・ノーサイドと、ノーサイドを作ったきっかけとなったラグビー選手のその後を追跡していたので、紹介させていただきます。
「ノーサイド」秘話として衝撃の事実があり、とても驚きました!
さすがユーミン、と納得する結果に。
モデルとなった高校生のその後と、ノーサイドについて衝撃の事実をお伝えさせていただきます。
目次
「ノーサイド」のモデル福浦さんの現在は?
「ノーサイド」にはモデルがいると言われています。
モデルとなった当時高校3年生だった福浦さんについて紹介させていただきます。
ユーミンの「ノーサイド」
ユーミンこと、松任谷由実さんの名曲「ノーサイド」
1984年に発売されました。
この曲は、ある高校生がモデルだと言われています。
ラグビーの試合を観戦していたユーミンが、高校生のラガーマンをモデルにして作ったと語り継がれてきました。
1984年に開催された、全国高校ラグビー決勝戦です。
今聴いても新鮮で、素晴らしい名曲です。
ノーサイドのモデル・福浦さんのラグビー決勝戦の様子
1984年に開催された、全国高校ラグビー決勝戦。
天理高校と、大分舞鶴高校が決勝戦で戦い、試合終了間際にドラマが起こりました。
試合は天理18-12大分舞鶴、という試合の中、土壇場でトライを決め、18-16に追いついた大分舞鶴高校。
最後のキックを決めれば同点で、両校優勝、となるはずでした。
ボールを蹴ったのは大分舞鶴のキャプテン・福浦孝二さん(3年生)
緊迫した空気の中、ボールを蹴った福浦さん。
しかし、キックは失敗。蹴る瞬間に軸足が滑ってしまったということです。
ボールはゴールをそれ、天理18-16大分舞鶴、という形で、大分舞鶴は準優勝。
大分舞鶴は優勝を逃してしまいました。
ユーミンの「ノーサイド」の歌詞に、
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
肩を落として 土をはらった
というフレーズがあります。
キックをはずした福浦選手は、涙が止まりませんでした。
ノーサイドのモデル・福浦さんの現在は?
1984年全国高校ラグビー決勝戦から35年後の2019年。
当時18歳だった福浦さんは、現在53歳になりました。
引用元:https://twitter.com/hashtag/%E7%A6%8F%E6%B5%A6%E5%AD%9D%E4%BA%8C
ユーミンの曲が、福浦さんの人生を変えた、ということです。
福浦さんを訪ねて向かったのは「大分県」
福浦さんの母校・大分舞鶴高校へ。
福浦さんは、高校教師になっていました。
福浦さんに当時の映像を見てもらうと、「思い出す」と語っていました。
「プレッシャーもあり、キックをはずして負けた、ということで負い目を感じた。社会人になってからも、触れないでほしい、という時期もありましたね」と心情を明かしています。
福浦さんにとって、今でもあのキックは忘れられないということです。
福浦さんの心に響いたのは
”同じゼッケン 誰かがつけて また次のシーズンをかけてゆく”
決勝戦と同じ年に発売されたユーミンの「ノーサイド」
これを聴いた福浦さんは、
「一度きりのシーズンを思い切りやる。もう1回やり直すことはできないけれど、次に向かっていく歌詞なので、歌には共感できますし、やっぱり嬉しかったです」と、ユーミンの曲に支えられたようです。
福浦さんは、高校教師として頑張っているようです。
ラグビーを通し、様々な経験をした福浦さん。
教師としても素晴らしく、生徒に信頼されているんでしょうね。
「ノーサイド」衝撃の事実が判明!
数少ない先輩と。#吉田拓郎 pic.twitter.com/hbJX4i1NlD
— 松任谷由実 Official (@yuming_official) 2019年3月20日
ユーミンは、アルバムの総売り上げ、女性1位の3000万枚以上。
幅広い年齢層に支持されています。
ユーミンの名曲の1つ、「ノーサイド」
ラグビーの試合を観戦していたユーミンが、高校生のラガーマンをモデルにして作ったと語り継がれてきました。
1984年に開催された、全国高校ラグビー決勝戦をモデルにして作られた作品、として有名です。
ユーミンのレコード会社・ユーミン担当の上野さんによると、
松任谷由実さんの「ノーサイド」は、”天理対大分舞鶴の試合”以前に作られていたということです。
実は、試合の前に歌詞を作成していたユーミン。
偶然作詞と試合内容が一致した、ということです。
ユーミンは、曲作りについて、
「ヘッドホンでラテンのバラードを聴きながら、映像だけテレビがかかっていた。ラグビーの試合だったんだけど、バラードとスポーツの試合は合うなぁ」と思ったということです。
そこで、試合内容を観る前に、歌詞を作成していたユーミン。
長年、1984年に開催された全国高校ラグビー決勝戦をモデルにして作られた作品、と語り継がれていたので、まさかの事実に衝撃でした!
「バラードとスポーツの試合は合う」ということで名曲を生み出したユーミン。
試合の前に歌詞は作成されていた、という衝撃の事実にかなり驚きました!
まとめ
ユーミンの名曲「ノーサイド」
ラグビーの試合を観戦していたユーミンが、高校生のラガーマンをモデルにして作ったと語り継がれてきました。
1984年に開催された、全国高校ラグビー決勝戦です。
ユーミンがモデルにした、と語り継がれた高校生のラガーマンは、大分舞鶴のキャプテン・福浦孝二さん。
現在53歳の福浦孝二さんのその後、を追跡。
福浦さんは大分県に住んでおり、高校教師になっていました。
決勝戦と同じ年に発売されたユーミンの「ノーサイド」
これを聴いた福浦さんは
「一度きりのシーズンを思い切りやる。もう1回やり直すことはできないけれど、次に向かっていく歌詞なので、歌には共感できますし、やっぱり嬉しかったです」と、ユーミンの曲に支えられたようです。
しかし、「ノーサイド」には衝撃の事実が判明しました。
松任谷由美さんの「ノーサイド」は、”天理対大分舞鶴の試合”以前に作られていたということです。
実は、試合の前に歌詞を作成していたユーミン。
「ヘッドホンでラテンのバラードを聴きながら、映像だけテレビがかかっていた。ラグビーの試合だったんだけど、バラードとスポーツの試合は合うなぁ」と思ったということです。
そこで生まれたのが「ノーサイド」
試合に出場していたラガーマンをモデルに作った、と語り継がれてきましたが、実際には試合前にユーミンは歌詞を書き上げていて、偶然作詞と試合内容が一致した、ということです。
衝撃の事実にとても驚きました。
やはりユーミンは天才ですね。