坂口杏里がノンフィクション出演・バンド杏里爆発で芸能界復帰?

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大女優・坂口良子の娘として芸能界デビューした坂口杏里さん。

おバカキャラが受け、人気でした。

しかし、彼女の芸能界生活は、母・良子さんの急逝と共に変化していきました。

ノンフィクションのディレクターが彼女に密着し、近況を伝えています。

目次

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テレビカメラの前に現われるのは3年ぶり・坂口杏里


テレビカメラの前に現われるのは3年ぶりという坂口杏里さん。

現在28歳です。

2008年17歳で芸能界デビュー

おバカキャラが受け、一躍人気者になりました。

22歳で母・坂口良子を亡くし、芸能界引退


22歳で大女優の母・坂口杏里さんを亡くした坂口杏里さん。

大女優・坂口良子の娘として生まれました。

しかし、3歳の時、両親が離婚してしまいます。

元父の莫大な借金があり、母・良子さんは大変な苦労をして、仕事をして借金を返したということです。

母は仕事で忙しく、幼少期は坂口杏里さんと兄の2人で過ごすことが多かったようです。

17歳で芸能界デビューした坂口杏里さん。

しかし、杏里さんが活躍している時期、母・良子さんのガンが発覚

杏里さんが22歳の時、坂口良子さんは57歳で亡くなってしまいます。

ロック座からオファー 取り組むも直前降板と報じられた

2017年、ストリップデビュー直前のリハーサルに密着したディレクター。

坂口杏里さんはマネージャーもいない、慣れない環境の中、頑張っています。

ロック座からオファーを受け、ストリップの舞台に立つことになった杏里さん。

しかし、芸能界で活躍していた時とは違い、太っていました

リハーサルで衣装を身に付けると、ストリップでの衣装も10cmほど生地が足りず、サイズが合わなくなっていました

担当者が衣装を補正する始末。

ロック座では、主役の杏里さんがセンターで踊ることに。

しかし、覚えていたはずの振り付けもすっかり忘れてしまいました。

ロック座名物の早着替えも失敗。

スタッフは説明をしたり、親切に説明するものの、慣れていないこともあり、うまくこなすことができません。

公演は15日間の予定でした。

リハーサルの最中、杏里さんの口から、「無理無理、私、プロじゃないもん」と不満の声も出てしまいます。

明け方までリハーサルに取り組んでいた杏里さん。

目の前の仕事にしがみついて、がむしゃらに生きていました。

しかし、ロック座出演ドタキャンお騒がせ!と報道されてしまいます。

実際には、杏里さんの口から降板したいとは言っておらず、杏里さんのせいにされてしまった形で降板騒動になってしまったようです。

ロック座の舞台に立つことなく、急遽降板、と世間に報道されてしまいます。

坂口杏里さんは自分から降板すると言ったわけではないといいます。

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神戸に出稼ぎ後 自殺未遂


ノンフィクションのディレクターと連絡を取ることがなくなった中、ネットニュースで、坂口杏里さんが神戸へ出稼ぎ、と報じられました。

その後、ディレクターへ衝撃の電話がかかってきました。

泣きじゃくって電話をかけてきた坂口杏里さん。

自殺未遂をはかったということです。

ドライヤーで未遂・詳細を語る

坂口杏里さんとディレクターの関係は、会いたいときには会えず、彼女がディレクターに会いたいときにだけ会えるという関係。

その後、会うことはなくなりました。

しかし、坂口杏里さんは、自殺未遂をはかった後、ディレクターへ電話をかけています。

神戸に出稼ぎにいった坂口杏里さんから電話がかかってきました。

ディレクターが、「何があったの?」と聞くと

遺書を書いて、ドライヤーの線でクビをきつく縛って、息ができなくなり、口からと鼻から血が出て

と語っています。

どうしてそんなことをしたのか、と聞くと、「なんかふと、なんかもう」と杏里さん。

この事件をきっかけに距離が縮まってきたようです。

坂口杏里さんは、出稼ぎで慣れない神戸へ行き、孤独感で、自分でもどうしたらよいのかわからなくなったのかもしれませんね。

しかし、その後芸能界復帰へ向け、少しずつ変化が起こってきたようです。

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杏里デビュー後 良子さんは必死に売り込み


母・坂口良子さんは、娘の杏里さんをとてもかわいがっていたということです。

良子さんは、杏里さんが17歳で芸能界デビューを決めた後、必死に売り込みし、母娘で共演し、娘の成功を応援していました。

しかし、杏里さんの知名度が上がってきた頃、母・良子さんにガンが発覚してしまいます。

母がもう助からないことを知ったのは死の数日前だったということです。

良子さんはしゃべることもできず、ホワイトボードで対話したということです。

良子さんは57歳で他界してしまいます。

やけになって夜遊びするようになった

母を亡くし、突然母の死を受け入れざるを得ない状況になってしまった杏里さん。

母親に溺愛され、芸能界デビューの際、一番頼りにしていたのは母・良子さんだったと思います。

しかし、母を亡くし、孤独感と喪失感が大きかったんでしょうね。

やけになって夜遊ぶことになった、という杏里さん。

これまでは夜遊びすることもなかったということです。

突然の別れに、喪失感でどうしようもなく、寂しさのあまり夜の世界へ足を運んだのかもしれませんね。

テレビ出演が減り、母の遺産を使い果たしてしまったということです。

2017年4月 男性とトラブルを起こし逮捕

すごく好きなホストがいて貢いでしまったという坂口杏里さん。

2017年4月。杏里さんが26歳の時、お金を借りていた男性とトラブルになり、逮捕されてしまいます。

釈放後、マスコミが150人ほど来ていたといいます。

キャバクラ・ストリップ・・・夜の世界にすがるしかなくなってしまいました。

膨れ上がった借金は1300万円

ノンフィクションでの密着取材はノーギャラで受けたということです。

芸能界復帰を目指す 坂口杏里


2018年10月、ディレクターのもとへ、杏里さんから下北沢へ来れないかと連絡がきました。

イキイキとした表情になっていた杏里さん。

2017年にノンフィクションの密着をしていた時とは表情が違っています。

目標ができ、前向きな気持ちになってきたのかもしれませんね。

頑張ろうと決めたきっかけは、過去、自分が出演していたyoutubeをみた、ということです。

映像を見た時、この時自分が輝いていた、当時頑張っていた、と再認識した杏里さん。

まだ夜の仕事を続けているようですが、芸能界復帰を目指し頑張っています。

芸能界復帰に向け動き出した杏里さん。

しかし、頼れる人はいないようです。

チャリティーイベントのゲスト出演のオファー!

芸能界復帰を目指し、頑張ろうとする坂口杏里さん。

チャリティーイベントのゲスト出演のオファーが入りました。

しかし、会場を使わせない、という反対が入り、ゲスト出演することはできない状況に。

這い上がろうとしてもひきずりおろされるという現実がありました。

映画監督・杉作J太郎さんからオファーが


2019年2月、久しぶりに杏里さんに仕事が入りました。

映画監督・杉作J太郎さんからオファーがあったということです。

母・坂口良子さんの熱狂的なファンだという杉作さんが依頼してくれました。

お母さんができない分をファンがやるべき、しっかりと杏里さんの発言を聞きましょうと話し、会場も和やかな雰囲気です。

杉作さんは杏里さんに、お母さんに雰囲気が似ている、顔も似ている、と話していました。

それに対し、杏里さんはコンプレックスがあるようで、似ていない、と。

デビュー後、ネットでは芸能界デビューした後、ブス、とか似てないと叩かれたようです。

しかし、このイベントでは和やかな雰囲気。

坂口良子さんのファンに支えられ、久々に表舞台へ立ちました。

かわいい、頑張れよ、と励まされていた杏里さん。

素の自分を出し、言いたいことを言えたということです。

夜の街で働くことについて

芸能界復帰を目指す一方、夜の世界を抜けだせるのか?

1300万の借金を返すため、夜の仕事を完全に辞めることもできません。

元・タレントとして夜の街で働くことについて、

ネットでは叩かれるけど、目を見てしゃべったら全然違う」と言われることもあるようです。

辞めたいけど、一刻も早く芸能界へ復帰したいと語っていました。

音楽活動を発表・バンド名は「杏里爆発」


杏里さんは音楽活動を発表。

オーディションを開催しました。

ツインボーカルも考えているようですが、厳しい様子。

バンドが結成されましたが、報じられたのは「ホストバンド

ネットでも私設ホストクラブと報じられ、ネットニュースにアップされてしまいました。

しかし、杏里さんは気持ちを切り替えているようです。

私設ホストクラブ、と称されたバンド、「杏里爆発

杏里さんいわく、技術がすごいと思う子を入れたらイケメンが揃ったとのこと。

今後、音楽活動を通し、芸能界復帰を考えているようです。

6度目の命日 墓前で母に誓う


坂口杏里さんの母・坂口良子さん。

亡くなる3ヶ月前まで病を押して共演し、杏里さんの成功を願っていました。

誰よりも芸能界での成功を願い、応援してくれていた母。

6度目の母の命日、お墓参りする杏里さんの姿がありました。

母に向けて、こんな言葉をかけていました。

この6年本当にいろんなことあったけど、ママがね、喜ぶ姿を見せれたらいいなと思ってるし、それは今年だけじゃなく、これから先ずっとね。

一生懸命はいつくばって頑張っていきたいって思ってるから、それを見ててください。

ふとしたときにママのところに行きたいなとか、思うんだよね。

でも、私は私でこれからママがやり残したこともやっていくし、ママは私のために一生懸命慣れないバラエティも出てくれて、すごいうれしくて。一生懸命がんばるから見ててください。

まだいないけど孫の姿を見せられなかったのは残念。

ほんとに産んでくれてありがとうございました。ありがとう。がんばるね。

絶対成功させるから。

ここにいると離れたくなくなるんだよ。

私はひとりじゃないし、ママもひとりじゃないんだよ

私もっと本当にがんばるから

と、良子さんへ報告していました。

坂口杏里、28歳

生きることすら投げ出そうとした日々を乗り越えて、迷いながらも走る姿

3年ぶりのテレビ出演が決まり、2019年3月30日、「全力!脱力タイムズ」の撮影が行われていました。

今後、芸能界復帰を目指し、がんばっていくようです。

母・坂口良子さんのためにも頑張ってほしいですね。

まとめ

2007年、17歳の時、芸能界デビューした坂口杏里さん。

大女優・坂口良子の娘として注目されました。

おバカキャラが話題となり、知名度も上がってきた矢先、母・良子さんへガンが発覚。

坂口杏里さんは、死の数日前まで病気のことを知らされなかったということです。

母が亡くなり、坂口杏里さんの生活は一転しました。

寂しさから、やけになって夜の世界へ遊びに行くようになり、遺産も使い果たしてしまった杏里さん。

借金は1300万円にものぼりました。

芸能界を引退し、夜の世界へ。

しかし、2018年、自殺未遂をはかってしまったということです。

その後、過去に自分が出演していた作品をyoutubeでみるうちに、考えが変わってきたという杏里さん。

また芸能界へ復帰したいと願うようになってきたようです。

しかし、芸能界は甘い世界ではなく、簡単に復帰することはできません。

母・坂口良子さんのファンだった、という方から仕事のオファーを受けたり、バンド活動を開始する、とオーディションを開催。

私設ホストクラブ、とネットニュースで報じられてしまいます。

結成したバンド名は「杏里爆発

今後、芸能界復帰を目指し、頑張っていくようです。

母を亡くして6年。

坂口杏里さんは、墓前で芸能界復帰を誓っていました。

この6年本当にいろんなことあったけど、ママがね、喜ぶ姿を見せれたらいいなと思ってるし、それは今年だけじゃなく、これから先ずっとね。

一生懸命はいつくばって頑張っていきたいって思ってるから、それを見ててください。

と報告していた杏里さん。

母・坂口良子さんはきっと見守ってくれているでしょうね。

良子さんの急逝により、人生が一転してしまった杏里さん。

困難に負けず、芸能界復帰を目指し、頑張ってほしいです。

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