6月16日に放送された「消えた天才」
レース中のある事件で消えてしまった、マラソンランナーについて放送していました。
高橋尚子さんが”Qちゃん2世”と認めた悲劇の天才ランナー、中里麗美さんについて紹介させていただきます。
目次
高橋尚子が天才と認めた中里麗美さんって?
日本女子マラソンのスター高橋尚子さん。
シドニーオリンピックで金メダルを獲得し、大注目されました。
Qちゃんと呼ばれ、一躍人気者になりましたね。
高橋尚子さんが金メダルを受賞した11年後、陸上界に天才が現れました。
高橋尚子さんが2世と認める天才ランナー・中里麗美
高橋尚子さんが天才、と認めたのは、当時23歳の中里麗美さん。
高橋尚子さんは、中里麗美さんに対し、
「まだ22歳だからね。私、マラソン25歳以降に始めているから(私よりも)かなり前を走ってるよ。どんどん強くなれるよ」
と高く評価し、認めていたようです。
高橋尚子さんから励ましの言葉をもらった中里麗美さんは、「ありがとうございます。頑張ります」と、嬉しそうです。
高橋尚子さんは中里さんに「(金メダル)狙えるよ。夢じゃない」と直接声をかけ、絶賛しています。
Qちゃん2世の中里麗美の経歴と特徴
番組では、高橋尚子さんにインタビューしていました。
「私の記録を超すような勢いで、彗星のごとく現れた。世界に通用する選手になるんじゃないかと期待していましたね」
と明かしています。
中里さんのランナーとしての特徴
高橋尚子さんは、中里さんのフォームを評価していたそうです。
「理想的なフォームをする選手でした。体の使い方が非常にうまい」と高橋さん。
小出義雄監督が”世界一のフォーム”と認めた高橋尚子さんが語る、理想の走りをする天才ランナー・中里麗美さん。
結果だけでなく、フォームも評価され、将来を期待されていたようです。
陸上界に現われた天才・中里麗美のすごさとは?
2011年、横浜国際女子マラソンが開催されました。
世界陸上代表選考会を決定するための重要なマラソンです。
この大会で優勝候補と言われていたのは尾崎好美さん(当時29歳)
尾崎好美さんは2009年の世界陸上で銀メダルを獲得。
実力・経験全てで圧倒し、大本命だと言われていました。
この横浜国際マラソンに出場していた中里麗美さん。当時22歳で無名のランナーでした。
視聴は152cmと小柄です。
この大会がフルマラソン2回目だったということです。
レースが始まると、無名ランナーだった中里麗美さんが、トップと候補の尾崎さんとレース終盤まで激しいデッドヒートを繰り広げたのです。
高橋尚子さん曰く、「腰の回転が非常に柔らかくスムーズ。自分の身長と同じだけの歩幅をとれるダイナミックな走りをする選手でした」と明かしています。
中里麗美さんは、敗れたものの、2位という結果に。
自己ベストを10分も更新し、時の人となりました。
2回目のマラソンで10分縮めるというのは驚きしかない、ということです。
22歳で自己ベスト。まだまだ伸びしろがスゴイ、と高橋尚子さんは期待していたようです。
中里麗美さんは高橋尚子さんに外見もソックリ!
ルックスだけでなく、実力もQちゃん2世と絶賛されました。
2011年、初めて出場した世界陸上では日本人2位という好成績。
当時22歳で、将来日本のマラソン界を引っ張っていく存在として期待されていた中里さん。
2012年、23歳の時に迎えたロンドンオリンピック代表選考会では、中里麗美さんがオリンピックの切符を獲得する大本命と期待されていました。
中里麗美のマラソン人生を変える事件が!
マラソンランナーとして、将来を期待されていた中里麗美さん。
2012年に開催されたレースで、中里さんのマラソン人生を大きく変える事件が起こってしまいます。
2012年に開催された名古屋ウイメンズマラソン2012
このレースで日本人1位になれば、ロンドンオリンピックの代表選手に内定できる重要な試合です。
尾崎好美の他、野口みずき、渋井陽子と、当時の日本を代表するマラソンランナーが出場する中、期待の新生として中里麗美さんが大注目されていました。
レース終盤、ゴールまで残り5kmの時点で尾崎好美とトップ争いをしていたのは中里麗美さん。
どちらがロンドンオリンピックへ進むのか期待された中、ゴールまで残り1kmで事件が起こってしまいます。
しかし、ゴールであるナゴヤドームへ姿を見せたのは尾崎好美さん1人。
中里さんの姿はありませんでした。
この瞬間、中里さんのオリンピックへの夢は絶たれてしまいました。
リードしていたはずの中里さん。一体何が起こってしまったのでしょうか?
ロンドンオリンピックの出場を逃してしまったばかりか、中里さんの成績はがた落ち。
目立った活躍をすることもなく、表舞台から姿を消してしまったのです。
中里さんは、28歳の若さで突然引退しています。
2012年 ゴール手前でまさかの転倒
中里麗美さんにインタビューしていました。中里さんは現在30歳。
中里さんは現在千葉県松戸市に住んでいます。
「オリンピックにこれだけの想いがあったのに、この一瞬でなくなっちゃったんだ。あれが一番つらかった」と涙を流していました。
「あんなことがなければ普通に走れていたと思うんですけど」と中里さん。
ゴール手前1kmで尾崎好美さんと日本人トップ争いをしていた中里麗美さん。
先にスパートをかけたのは尾崎選手。
中里麗美さんは、ナゴヤドーム前、最後の直線で勝負!と考えて走っていたようです。
最後の直線500mで勝負をかけるつもりでいたということです。
そして、最後の直線へ向かうカーブを走ろうとしたその時、ゴール目前でまさかの転倒。
段差防止のマットへ足をとられ、転倒してしまったということです。
結果は、尾崎好美さんから遅れること14秒。日本人2位でゴール。
しかし、2位ということで、オリンピック代表を逃してしまいました。
尾崎麗美さんは
「これまでの42kmなんだったんだろう、という気持ちと、オリンピックへの想いがあったのに一瞬でなくなっちゃったんだというあっけなさ」を感じたと語っています。
中里麗美が表舞台から消えた理由
将来を期待されていた中里麗美さん。
28歳の若さで突然引退しました。
中里さんが表舞台から姿を消した理由は、転倒をきっかけに自分本来の走りを見失ったから、ということです。
中里さんが表舞台から姿を消した理由は2つ。
・レース中の転倒をきっかけに自分本来の走りを見失ったから
・運動性無月経に苦しめられ、マラソンをやめるしかなかった
ということです。
レース以降 中里の走りに異変が
2015年に開催された、さいたま国際マラソン。
ケガも完治し、万全の状態で挑んだレースです。
しかし、スタートからわずか10kmでなぜか足元はふらふら。
次々と抜かれてしまい、全盛期の走りとは明らかに違っています。
中里さんに聞いてみると、
「左足に頼って右に力が入らない。足は前に出るけど膝かっくんされたイメージ」
実は、2012年のレースで転倒して以降、痛みはないものの、なぜか右足に力が入らない、という状態になったということです。
原因は転倒なのか、精神的なものかはわからない、自分が思うような走りができなかったと語っています。
本来の走りが出来なくなったことから、スランプに陥ってしまったということです。
当時監督を務めていたダイハツ陸上競技部の林清司監督にインタビューしたところ、
「ケガじゃないですね。メンタルから来てる」と語っています。
あのスピードで転倒すると結構な衝撃があり、不調というよりも全く走れなかった、ということです。
かつてのフォームが出来なくなってしまったという中里さん。
それでももう一度走りたいと思った中里さんは、25歳の時、所属していたチームを退社。
心機一転し、地元に戻りトレーニングを続けていました。
さらなる悲劇 運動性無月経と診断される
地元に戻り、トレーニングを続けていた中里さん。
検診で運動性無月経と診断を下されてしまいます。
運動性無月経とは、運動による月経異常。3ヶ月以上月経が停止している状態。
中里さんは、5年間も月経が来ていなかったということです。
医師から衝撃の言葉をかけられます。
「これ以上トレーニングを続けたら、妊娠ができなくなるかもしれないですよ」
ずっと無月経だったため、妊娠しにくい体質だということです。
これを機に、引退を決意。
婚約していた男性と結婚しています。
2012年以降スランプに陥っていた中里麗美さん。
トレーニングを続け、頑張っていたものの、さらなる不幸が続きました。
スランプに陥り、運動性無月経と診断されたことで引退を決意し、家庭に入ったようです。
理想のフォームと言われ、期待されていた中里さん。
マラソンを断念するのもかなり悩んだと思います。
中里麗美の現在は?
30歳になった中里さん。
結婚後、妊活し、現在は1児の母になっていました。
家族3人、幸せな家庭を築いています。
中里さんには新たな目標ができたということです。
なんと、中里麗美さんは、またマラソンを再開していました!
来年行われるレースで復帰を目指しているということです。
今ならまた昔の走りが取り戻せそう、来年の名古屋のレースでもう一度挑戦したい、と語っていました。
2012年、転倒し、オリンピックを逃してしまったレースも名古屋。
来年また挑戦したい、と話す中里さんはとても素敵な笑顔でした。
来年のマラソンに注目したいですね!
頑張ってほしいです。
まとめ
高橋尚子さんが天才、と認めた中里麗美さん。
将来を嘱望され、マラソンランナーとして期待されていました。
しかし、2012年に開催されたマラソンでまさかの転倒。
ロンドンオリンピックへ出場すると思われていた中里さんですが、転倒したことにより、オリンピックへの夢は叶いませんでした。
スランプに陥り苦しんだ中里麗美さん。
トレーニングを続け、頑張っていましたが、苦難が続き、28歳で引退しています。
中里さんが表舞台から姿を消した理由は2つ。
・レース中の転倒をきっかけに自分本来の走りを見失ったから
・運動性無月経に苦しめられ、マラソンをやめるしかなかった
ということです。
現在30歳になった中里麗美さんは、1児の母となり、幸せな家庭を築いていました。
なんと、中里麗美さんは、またマラソンを再開していました!
来年行われるレースで復帰を目指しているということです。
今ならまた昔の走りが取り戻せそう、来年の名古屋のレースでもう一度挑戦したい、と語っていました。
来年また挑戦したい、と話す中里さんはとても素敵な笑顔で、輝いていました。
30歳で再チャレンジ。
来年のマラソンが楽しみですね。